2011/12/02

意志ある楽観主義

活字が目に入らない話は、先月の中年図書館6で書いた通りで、未だ継続中なり。

ホント本を手に取りはするんだけど、先に読み進めれないのだ。

困ったものだ。

昨日は休みで、スーパーへの買出しのついでに本屋にちょっと入ってみた。

読めていないストック本が十冊はあるというのに、また買ってしまった。

← 料理本、文庫、漫画、新書と五冊も~(汗)

← 料理本と漫画本は帰ってからぱらぱらと見たんだけど、他のヤツは本棚の積み重なりの上に

さらに積み重なっただけだ。(苦笑)




そんな感じのまったりとした昼下がりの午後、軽く片付け物をしながら撮りだめたDVDでも

みようかと録画した番組を選んでたら、100分 DEー名著 の最終章が録画してあって、

これなら25分で一冊読んだことになるよな!っと相変わらずの調子のよさで、

とりあえず、11月の4本分のうちの最終章をみることにしたK玉ですが、

皆さんいかがお過ごしでしょうか?







アラン 「幸福論」 

一応、知っている、名前くらいは。。。

哲学だよな、読めない漢字もあるよな、数学より難しいよな、ってことくらいはわかる。

って思いながら読んでると(見ていると)、すごく解りやすい解説で、K玉の腐った脳みそにも

理解できる、砂漠が水を吸収するがのごとくに。。。



「幸福は義務である。」



ガツンときたね!!!

ブータン国王の来日を思い出したです。

国民の満足度、幸せ指数を上げることを目標としているんだから。



「幸福だから笑うのではない。 むしろ笑うから幸福なのだと私は言いたい。」 77章。



笑う門には福来たる~ですよね。

絶望の中にいてもアランの幸福論は力を持っているようだ。

どうも哲学を勉強するんではなく、「哲学をする」 ということのようである。



「幸福になることは他人に対しても義務であることは十分に言われてない。

(中略)

男も女もみな、絶えずこう考えるべきであろう。

つまり、幸福というものは、といっても自分のために獲得する幸福のことだが、

もっとも美しくもっとも寛大なる捧げものである、と」 92章。



社会や他人に対しても幸福である。

つまりは自分が幸福でなければならないということか?

これは、以前書いた不機嫌なそばやと逆で、同じく伝播するということのようだ。



同じような感じで、こんな言葉もある。


「よい天気を作り出すのも、悪い天気を作り出すのも私自身なのだ。」 68章。


雨が降ってきたときに、楽観的な視点というかネガティヴをポジティブにとる心持を大事にする

ことが肝要かといっているわけだ。

「ああ~けっこうなおしめりだ!」 って考えることがいいってことだよな。

これもよくわかる考え方だ。K玉でもそうだよなと思うっていうか、

けっこう実践できているかもなな楽観主義。(笑)




とはいえ、アランさん~ここで大事なのが 意志を持った楽観主義 という。


「誓うべし!」 93章。

「悲観主義は気分のものであり楽観主義は意志のものである。」 




K玉のただの楽観主義とはちょっと違うようだが、今の、特に震災後の日本の国にとって、

小さくは弊店っていうか弊社も、地域も、悲観せずに皆が日本がよくなっていくと

楽観的に思ったほうが、日本人全員がそう思ったほうがいいんじゃないかということだ。

真似でも模倣でもいいとアランさんも言っている。

そんな感じで皆で幸福であることを誓って、生きていくことが今、大事なのかもしれない。

← ちょっとしたイライラやけんかなんかなくなるよな。


ほっといてもいいわけではなく、努力も必要なんだけど、今、生きていることの意味を

幸福としてとらえることが大事だと解説の方も言ってらした。



K玉的には、考え方を変えるだけで幸福になれるのがわかっただけでも御の字です。

今日はただただ読んだこと(見たこと)を書いただけで、K玉の考えではないんだけど、

日本が混迷の時代だからこそ、意志を持った楽観主義っていいよな!


今こそ、アラン !!!