昔のモテぶりや、遊び人ぶりからそう呼ばれている。
私、なかまの友達みたいなお客さんである。
私は、人生最高の遊び期である学生時代を1989年~92年(平成初期)にかけて過ごした。
そう、親不孝通りがまだまだ盛り上がっていた頃である。
そんな時代に、方々から噂やその名前を聞く男がいた・・・「平成の色男だ」。
クラブで遊んでる連中で知らない人はいない。だの
会いたかったら親不孝通りに行け。だの
いつもいい女を連れている。だの
毎日、女が変わる。だの
しゃべると妊娠する。だの
ホワイトバックスを履いている。だの
「平成の色男」と同じ大学に通う友人や、
当時良く遊んでいたこの「色男」の幼馴染の女の子からも
頻繁にその「遊び人」ぶりは聞いていた。
しかし、学生時代は夜遊びせずに、法律を学ぶ事に没頭していたので
会う機会はなかった・・・・・・。
それから、12年が経ったある日、店で顧客リストの整理をしてると
どこかで聞いたことのある名前があった。
そう「平成の色男」である。
世の中の狭さを痛感し、こうして出会えたことに感謝している。
それからは、友達みたいなお客さんみたいな関係である。
今では、家庭も築きちゃんと落ち着いている。
が、「いい男」には変わりない。
そんな「平成の色男」がオーダーしてくれた靴が上がってきた。
やはり、靴のデザインにも色気がある。
極めつけは、ライニングレザーの色。
「遊び人」はいくつになっても「遊び人」である。
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