2012/01/04
スーツのはなし VOL・133
スーツフィクション 1/5
携帯電話に着信メッセージのサインが灯っていた。
誰が掛けてきたのかは表示されていなかった。
「電話ください。田原です。」
やけに短く、挨拶もなし。いつもの丁寧な口調ではなかった。
些かの不安が過ぎったが、連絡をしてみる以外にそれを払拭する手立てはない。
発信者が表示不能だったことと呼出音で海外にいることは判った。
呼出音を数回聞いて、一度電話を切った。プライベートでも仕事でも渡航の話は
聞いていなかった。今までなら搭乗寸前に、突然連絡してきて現地の情報、
といっても美味しいレストランを聞いてくるだけなのだが、今回は何も言って
こなかった。海外のどこかにいるのだが、西か東か、しばらく思いをめぐらすが
聞いてないものはいくら考えても無駄だ。時差を考えると迷惑な時刻かもしれないと
思いつつもリダイヤルした。
「もしもし、誰、プロント、プロント」
やっぱり、眠っていたのだろう。怪訝そうな声だ。しかも国際電話だとこちらの
名前がディスプレイされない。
「田原さんですか、三木ですが、プロントってイタリア?」
「あっ、先輩」
彼は私の顧客のひとりなのだが、歳が上であるという理由だけで私のことを
先輩と呼ぶ。
「いったい、どこにいるんだい」
「ベニスです。ヴェネツィア。さっき終わったばかりのパーティーで飲み過ぎて、
今はひたすら眠いんです。あすの朝、こっちから電話します。タキシード作っといて
もらえますか。それから、タキシード着るのに必要なものを全部揃えてください。
急ぐわけじゃないんですがお願いします。じゃ、おやすみなさい。」
< 続く >
月刊 はかた 1月号 スーツのはなし 笹川正章 より