スーツフィクション 5/5
コピー商品が悪いのはわかっている。別の観点から意見を交わそうと思った。
本物には問題はないのかということだ。
アジアを旅すれば必ずといっていいほどコピー商品が売られているのを目にする。
SAクラスのコピー商品は本当によくできていて、素人には見分けがつかない。
箱やリボンなどの包材も完璧だ。その技術を正しい方向に向けられないものかと思う。
しかし、そのコピーが1万円で売られている。本物はというと、数十万円だ。
どう考えてもコピーの方が生産ロットも少なく、効率的に作られているとは思えない。
だが、1万円で売っても利益が出るのだ。 となれば、10万円で売る本物はどれだけ
儲かっているのだろうか。
こんな話もした。ブランド品の工場で働く職人が退社した。
昔の仕事仲間に原材料を横流ししてもらい、同じものを製作した。これって、本物、偽物?
無論、商標管理がなされていない場所で作られたから偽物なのだが、本物よりよくできて
いたりする。
田原の仕事は、ブランド各社の要請でコピー商品の出どころとその流通を調べることだ。
つまりコピー商品の市場調査を報告書としてまとめる。そこから先は公的捜査機関に
バトンを委ねることになる。身辺が気がかりだが、杞憂であることを願っている。
田原はスーツを有意義に着るひとりの男として、こう語る。自分のようなフリーランスの
人間は、ジーンズとTシャツでも仕事はできる。しかし、スーツという服は世界中のどの街でも
違和感を覚えることがない。必要なら仕事の為に街に埋もれることもできるし、ここぞという
時に自分を引き立てることもできる。選択さえ間違えなければ、1着の同じスーツでそれが
可能だ。寡黙さと冗舌さを兼ね備えたその不思議さに心惹かれる。
着こなし方を見れば、その人がわかる気がするのも興味深いことであると。
<完>
月刊 はかた 5月号 スーツのはなし 笹川正章より