スーツフィクション 2/5
タキシードを作ってくれという自分の用件を言い終えると、一方的に電話を切った。
田原にしては珍しいことだが、よほど眠かったのだろう。時差を考えるとイタリアは
日付が変わる頃だった。
田原はフリーランスの探偵みたいな仕事をしている。クライアントからの要請を受けて
動くのだが、私の知る限りでは、五ヶ国語を操ることもあり、このところ海外づいている
ようだった。もともと服が好きでセンスがいい男だ。体型のバランスにも恵まれている。
渡航歴が増えるたびに着こなしのうまさに拍車がかかっていた。二人でイギリスとイタリア
を旅したことがある。彼のおかげで言葉には困らなかった。スーツのオリジンの地を
辿るような楽しい旅だった。また行こうと話しつつも数年が経っていた。
遅めのランチに何を食べようかと考え始めた頃、携帯が鳴る。
「田原です。おはようございます。昨晩は失礼しました」
「ボンジョールノ。こっちは、もうお昼過ぎだけど。よく眠れたかい。
ヴェネツィアだって、どうしたんだい突然に」
「ここんとこ、高級ブランドのコピー商品を調査していたんです。
アジアばかりだと思っていたら、ヨーロッパにもアフリカからの偽ブランド品が
大量に入ってきているんですよ。高級ブランドっていうとイタリアかフランスが
本拠地でしょ。お膝元でそんなもん売られたら、そりゃ、いい気はしませんよね。
今回は秘密裏に動く必要があって、先輩に連絡しなかったんです」
堰を切ったように田原は話を続けた。
「きのうは昼、夜とパーティーの連発でした。ほら、先輩に勧められてミディアムグレイと
チャコールグレイのスーツを色違いで作ったでしょ。昼と夜のパーティーでそれぞれを
使い分けたら、イタリアのセレブリティたちにすごく誉められたんですよ」
< 続く >
月刊 はかた 2月号 スーツのはなし 笹川正章 より